昔の記事のどこかで、自分は「王道から半歩ズレたものが好き」と書いた。
レクタングラー時計の王道といえばやっぱりルクルトのレベルソ。
実はもう何度試着したか分からないくらい悩んでいた。いつも「レクタングルはこれで決まり!」と思いブティックに行き、首をかしげて帰ってくる。
そんな行動を繰り返してきた。
レベルソは綺麗だしサイズも豊富。金無垢もある。値段はちょっと高いけどまぁ。
物に対する不満はない。ブランドに対する悪印象も特にない。条件は満たしている。
なのに決断できない。
タイミングもある。買う気満々で行ったら欠品中で3ヶ月待ち、とか。
色々表面的な理由はある。
でもね、正直に言うと自分は「レベルソを着けている人」になりたくなかったんだろう。
30代以降の知的で裕福な紳士。丸の内勤めのエリートサラリーマンか士業で、ビシッと身体に合ったオーダースーツを着て、綺麗なマンションに住んで、家庭円満で、みたいな。
自分のようなアレな人間とは正反対のキラキラで折り目正しい世界。
より正確に言うと、自分は「レベルソを着けている人」に「なりたいけどなれない」。
うっすら感じていたそんなコンプレックスを刺激される時計の一つがレベルソだった(ちなみにもう一つはGS)。
で、いきなりlipに行き着く。
lipがレクタングルを出していることは知っていた。
T18。
クオーツを載せた金メッキケースで大体2万円くらいのやつ。
デザインは気に入ったしサイズ感も悪くない。
でも、なんだかしっくり来ない。なぜかと思いを巡らせれば、たぶんこれもある種の「王道」なんだと気づいた。
レベルソが30代以降のカッコいい大人の王道だとすれば、T18はファッション感度が高いカッコいい若者の王道。
カッコいい大人ではなく、カッコいい若者でもなく、そもそも若者ではない自分にはやっぱり合わない。
で、ジラールペルゴとかランゲとかモリッツ・グロスマンとか一通り見る。一時期ヴァシュロンのトノーやフランクミュラーも検討した。でも、どれもハマらない。その辺りになると気軽に着ける感じでもなくなってしまう。ある程度お金を出すならいっそブレゲのヘリテージかと思うも、あまりの巨大さに断念。
で、lipに戻ってくる。
T18ファミリーの中でも最も有名なチャーチルに贈られたデザインを復刻、専用の角形手巻きムーブを積んだ180本の限定版が出るという。
そう、これを待っていた。
遠目には通常ラインのT18と見分けが付かないけど、近くで並べてみると完全に別物。カッコいい大学生がわざわざチョイスするにはマニアックだし、値段もね。一方でカッコいい大人はレベルソに行く。
王道を半歩ズレてる。一歩はズレてない!
だってT18自体はすごく有名なデザインの名機だし。
そんなわけでT18 Original を買った。
思ったことをつらつら書いてみたい。
ケース
まずは一番しんどいところから行きたい。ケース。
縦41.5mm、横23.5mm、厚さ10.5mm(最厚部)。すべて実測。
通常版(クオーツ)がカタログ値で縦39mm、横21mm、厚さ8.3mmなので、一回りOriginalの方が大きい。特に厚みは結構違う。クオーツと機械式の差だろう。
レクタングルゆえ縦の長さはケースサイズそのままの41.5mm。自分の腕周りならば全く問題ない大きさ。
写真で見る通りベゼル部分のみ鏡面でラグ部と側面はヘアライン仕上げ。そして裏蓋は再び鏡面。この磨き分けはかなりいい。ヘアラインがビシッと決まっていて立体感がある。
ここまではいい。
問題はケースがPVD加工の金メッキだということ。
24金の下地の上に18金を重ねるという凝った製法らしい。でもね、穿った見方をすれば同じくメッキの通常版と何とか差を付けたかっただけなんじゃないか。そう思ったりもする。
正直無垢で出して欲しかった。
lipならブランド力の弱さを加味して200万切るくらいで行けたのでは。もちろん大量に売れることはありえないので世界限定20本とかで。
実際お店の人にも「今後無垢が出るとかないですよね?」と何度か確認した(無いとの返事)。社外品で無垢ケース作れないか一瞬考えたりもした。だってこのデザインだしせっかくなら無垢で欲しい。
葛藤しながらlip.frの特設サイトをじっくり読んでいたところ、こんな記述を発見。
la nouvelle direction a fait le choix de relancer la plus célèbre de toutes les T18 : celle en plaqué or offerte à Winston Churchill en 1948.
https://www.lip.fr/fr/content/44-lip-t18-original
en plaqué or! つまりチャーチルに贈られたT18も金メッキだったらしい。
それならしょうがない。
復刻だし忠実にね。忠実に。
原機とはサイズが違うとかムーブが違うとか色々適当感漂う復刻なのは分かっている。でも、とりあえず自分を納得させる言い訳が出来た。
あえてのPVD加工。あえての!
そういうことにしておく。
横から見た形状は緩やかにアーチがかかっている。
上述のように側面はヘアライン仕上げ。クオーツと違ってサファイア風防なのでこの加工には若干手間をかけたのかもしれない。
小ぶりなのにこの曲線のおかげで結構存在感が出ているのも良い。
リューズはかなり薄く手巻きしづらい。
下部がケースより下に出ているので、そこをなんとか人差し指の腹で撫でるように回す。感触はそこまで重くない。でも軽快というほどでもない。大ぶりなリューズを付けて巻いたら結構気持ちよさそうなのでちょっともったいない気がする。
まぁ、リューズ形状もアイコンの一つと思えばそう簡単に変えられないんだろう。
文字盤と針
これは最高の一言。
アプライドされたアラビア数字、外枠は縦、内側は横のヘアライン仕上げ。ガンメタリック(たぶん)の針もパキッとしていて高級感がある。
そしてブランドロゴの下の「MANUFACTURE」と6時位置の「BESANÇON」「FRANCE」の印字。特に後者は気分が上がる。「SWISS MADE」じゃない。最高。
とはいえ、通常版との違いはこれだけ。文字盤の素材とか本当は色々他にもあるんだろうけど、パッと見て分かるのはアプライド数字と「MANUFACTURE」の文字だけ。
視認性はよくない。
ただ、思ったほど悪くもない。
長方形ケースの宿命としてアワーマーカーと針が離れすぎる現象はどうしても起こる。実際に使用する前は大いに危惧したところだけに、意外とスムーズに読み取れてほっとしている。
ムーブメント
パワーリザーブ40時間の手巻き。
仕上げもカッコいいし、なによりちゃんと角形なのがいい。小さな円形を入れてスペーサーで埋めるとかではなく。
説明を読むと、スイスのラジューペレ社が作りブザンソン(フランス)のアンベル・ドロー社が組み立てたムーブらしい。
Mouvement mécanique à remontage manuel exclusif de la marque Lip
https://www.lip.fr/fr/montres-homme/1001-t18-original-3411120045937.html
リップのために専用(exclusif)で作られた手巻きムーブ、と高らかに謳っている。
ただ、インスタのコメントや海外のフォーラムを見ていると批判も多い。
これはもともと他のブランド用に作られたものを流用しただけでT18のオリジナルとは全然違う、とのこと。
オリジナルのT18にそこまで思い入れのない自分は「ふーん」くらいの感じで流し読んでいたけど、話しは進んで「最近の時計ブランドの誇大広告はいかがなものか」みたいなところまで至っていた。
確かに「独占的な」(exclusif)とまで書いてそれだと結構不味い気はする。法解釈か語義解釈で言い逃れられる部分があるんだろうか。よく分からない。
ストラップ
ラグ幅20mm。尾錠部幅18mm。
フランス製のマットアリゲーターストラップが標準で付いてくる。
写真の通り標準仕様は両開きDバックル。自分は腕が細いのでDバックルは無理と判断し普通の尾錠仕様に製作段階で換えてもらった。
12時側75mm、6時側120mm、最短穴までの距離は59mm。(写真の最短穴は追加で開けてもらったもの。そこからだと53mmになる。
細腕には微妙な長さだけど欧州では標準的サイズだし、使えなくはない。12時側80mmじゃなかっただけまだマシともいえる。でも欲をいえば寸短設定が欲しかった。70-110でいいから。70-105とかマニアックなことは言わないから。
物自体は綺麗な竹節でクオリティも高いだけにもったいない。
というかストラップまで含めて受注生産なんだから作ってよ、と言いたくもある。実際本国に頼んでもらったけど寸短はNGとのこと。
バックル仕様から尾錠仕様への変更(オリジナル仕様はツク棒を付ける切り欠きが無い)とアピエ(クイックリリース)追加はやってもらえたから、手間がかからなければやる、といったところか。
まぁ、とはいえラグ幅20mmで接合部もごく普通なので社外品付け放題。秋になったらカミーユフォルネで寸短を買えばそれで解決する。
夏はDelugsのCTSラバーストラップを付けておけばなんとなかる。
というか、T18に限らずドレス系の時計はとりあえずCTS付けておけばなんとかなる。そのために開発されたリーサルウェポンなので。
でもこの時計、目の細かい金のメッシュブレスとか意外といけるのでは。暇(とお金)があれば試してみたい。
箱
外箱と箱本体。とても小さくて持ち運びが楽。
箱本体はlipの通常ラインによくある合皮のペラペラなやつじゃなくて、結構しっかりしている。
最初ラッカー塗った木箱?と驚いたけど、プラスチックだわ、これ。
ブランドのキャラクターなのか時代なのか、箱はどんどん簡素になっているイメージがある。一昔前だったら40万超えの時計なんて、もうその箱を食卓にできるのではないかと思うような巨大なのが付いてきた。ロンジンとか。今はこれ。
でもそう悪くない。
自分の場合純正の箱はまず使うことがない。包装も解かずに押し入れに突っ込んでしまうタイプなので、小さければ小さいほど省スペースで実利的。もちろん気持ちの盛り上がりにはかけるけど。
まとめ
何となく2000年代を思い出させる時計だと思う。
当時流行り始めていた復刻ブーム。復刻したはいいけどマーケティングの都合でデカ厚にされ、実用性重視で日付が付けられ、ムーブはETAの汎用で、みたいなのがたくさんあった。メジャーブランドから山のように出ていた。
それが最近では、過去の名品を3Dスキャンして忠実に図面を起こすわ遙か昔に廃番になったムーブを一から作るわと、凄まじい勢いで精度が上がっている。デイトを後付けなんてもってのほか!
そんな2024年、ケースサイズは違えばムーブも違う、文字盤も違う「Original」を出してくるあたり、lip感ある。この時代に取り残されている感。この「まぁこんな感じでいいでしょ」というラフな感じ。
ではこの時計を実際に買ってみてガッカリしたかというと、自分は非常に満足している。
そもそも過去のT18に対して思い入れがあるというよりも、フランスブランドの王道を半歩ズレたレクタングラー時計が欲しかった。それがT18でなくてもよかった。よって復刻精度のアレさは全然気にならない。
むしろそのズレた感じが昨今の厳密な復刻という界隈の王道を外していてイイ。
通常版T18とほとんど変わらない外見も別に構わない。だって”ほとんど変わらなくない”から。
実際にこの時計を発注するとき、サンプル品と通常版を並べて見せてもらった。
どう見てもほぼ同じデザインのはずなのに全く別物。
間近に見て、触って、腕に着けたときの印象が全然違う。佇まいというか雰囲気というか、そういう非言語の何かが違う。あれはとても不思議な体験だった。
要するに「一個のレクタングラー時計」としてとても好みだった。
さらにいえば、復刻の精密さがその時計の価値のようになっている近年の動きへの反感もあって、いっそ痛快だった。
あの純粋主義には自分が嫌って止まないインテリの匂いを感じる。自分は(通俗的な意味での)反知性主義者なのかもしれない。
そう考えると、自分が時計界隈で評価が低い時計ばかり好むのも納得がいく。
昔ブレゲのType20について書いたとき、海外のフォーラムやインスタコメントに延々と批判が並んでいる様を紹介した覚えがある。「デイトさえなければ」「サイズが大きすぎる」「こんなのを買うヤツは見る目がない」みたいな。
今回のT18もばっちり並んでいた。「偽物!」「何もかも違う」とかシンプルなものから、過去のT18のムーブメント画像と今回の画像を比較して長々論じるものまで。
多種多様な批評批判悪罵の中から一つ熱いコメントを紹介したい。
「€199のlipに€2500? 気が狂ってるのか?」
世の中には気が狂ってる人間が180人くらいはいることが今回分かった。