もう15年くらい前になる。
子どもの頃からの夢を諦めて、いよいよちゃんと就職することになった。大学時代から付き合っていた彼女との結婚も決まっている。そんな状況でいわゆる「高い時計」が欲しくなった。
昔から時計自体は好きだったけど、主に経済的理由から国産の1〜2万円台のものを幾つか持っていただけ。でも、そろそろ一本、2桁万円台の時計が欲しい。そう思った。
当時はデカ厚ブームの真っ最中でドレスウォッチなど全く候補に無かった。カッコよくて自慢できる高い時計が欲しかった。
そんなわけでダイバーズが欲しい。
まずロレックスのサブマリーナが出てくる。当時は40万程度で並行物が買えたけど、とてもとても自分に出せる金額ではない。次はオメガのシーマスタープロ300が候補にあがる。こちらはちょっと安くなって20万円台半ば。でもこれも無理。
並行店の宣伝がいっぱい乗った時計雑誌を買い、インターネットのサイトを見て探す。オリスのアクィス、フォルティスのダイバー、20万円を切る価格帯のものを色々見た。
そうしてたどり着いたのがEZM3だった。特に劇的な出会いとかはない。値段が安くてカッコよかった。それだけ。
限られた予算の中で自分が買える最高のものを買った。でも、その予算が50万だったら迷わずサブマリーナを買ったと思う。「時計は値段じゃない」「時計はマウントのツールじゃない」。全く以てその通り。でも正直なところ、当時の自分にとって時計は「値段」だし「マウントのツール」だった。
同期の友人達が○○物産や○○テレビでバリバリ働くなか、定職に就かずアルバイトでほそぼそ食いつないでいた自分にとって、たぶん時計はそんな惨めな内実を取り繕ってくれる「まともな社会人の証明書」だったのだと思う。
ブランドとしてのSinn
幸いにも生活は好転して、ささやかではあるけれど時計を買えるようになった。サブマリーナもシーマスター300も買った。
買ってみて意外なことに、あの頃輝いていた時計たちが全部しっくりこない。なぜなのか、理由が分からず結構混乱したけど、今は大体見当が付いている。
理由の一つ目は時計が自分にとって何かを「証明するツール」ではなくなったこと。現在の生活において周囲の人々に「自分はサブマリーナを買えるくらいお金持ちなんだぞ。ちゃんとしてるんだぞ」とアピールする必要がなくなった。したいという欲求も消えた。
そして二つ目の理由。こちらのほうが多分核心。
15年の間に自分が凡庸で代替可能の存在であることを痛感した。以来、せめて持ち物では他者との違いをアピールしたい欲求に駆られる。でも違いすぎて目立ちたくもない。他人の目を全く気にせず我が道を行く勇気はない。
そんなわけで自分はいつしか「他人と半歩ズレたもの」を好むようになった。一歩ズレて堂々としている自己肯定感はないし、王道の真ん中を歩く気概もない。
サブマリーナやシーマスターは自分には王道すぎる。
では「自分のための時計」、つまり「他人と半歩ズレた時計」ってなんだろうと考えていて、思いついたのが、これまで使い続けてきたSinnだった。
Sinnは不思議なブランドだと思う。歴史やブランドイメージを考えるとIWCやブライトリングの軍用ラインが近い。でも、IWCやブライトリングの(安い)代替品かと言われるとどうもそうは感じられない。実際にIWCやブライトリングを複数本所有していて、その中であえてSinnを選びたくなる何かがある。
たぶんそれは独特の規模感に由来しているのだと思う。巨大ラグジュアリーブランドグループに属さず、ほどほど地味にやっている。この「ほどほど」がいい。
クオーツ革命以降存在感がなくなった知る人ぞ知る老舗(公式サイトが2005年くらいに主流だったデザインのままの)や最近生まれたオシャレなマイクロブランド(インスタがんばってる感じ)とも違う。もう少し知名度があって規模も大きい。でも、上述ラグジュアリーブランドのようなワールドワイドの規模感もない。ほどほど。
悪く言えば中途半端な立ち位置で、会社としては恐らくラグジュアリーイメージに向かいたいのだと思う。でも、少なくとも今は(残念ながら?)絶妙にほどほど。
ほどほどなので、物も「そこそこ」出回っている。IWCやブライトリングが時計に興味が無い人たちにも知名度があるとすれば、Sinnは時計に興味がある人の中で「そこそこ」知名度がある。
時計マニアとして振り切りたくもないし、定番(ゆえに結構かぶる)を堂々と愛することもできない自分にとってまさにぴったりの「半歩ズレた立ち位置」こそがSinnを好きな理由だった。
正直なところ、ブランドが推す「質実剛健ですごいテクノロジーをまとったツールウォッチ」のイメージにはあまり興味が無い。そのイメージを持つブランドは他にもたくさんあるし珍しいものでもない。それらの中からあえてSinnを選ぶのはやっぱり絶妙の「ほどほど感」なんだろう。
「他人とちょっとだけ違っていたい」と「みんな」が思っている。自分も含めてそんな人たちのための時計がSinnなんだ。
EZM3F
15年の時を経て、最初の時計EZM3(写真左)のバージョン違いであるEZM3F(写真右)を買った。一見かなり似ている。でも細かく見ると色々違う。スペックなど詳しくはお店のページで説明されているので割愛する。
自分が購入を決めた理由は3つある。
- カウントダウンベゼル
- 日付の色
- 薄さ
一つ目のカウントダウンベゼル。カウントダウンベゼルはこの時計で初めて使った。使い勝手が非常によい。例えば「30分の持ち時間で話してください」と言われたとき、ダイバーのベゼルよりも断然直感的に残り時間を判断できる。
日付の色については本当に素晴らしい。EZM3の赤い日付はデザインとしてカッコいいかもしれない。ただ、実用性が本当に低い。
ダイビング時に余計な情報(日付)を目立たなくするために海中で見えづらくなる赤色を採用しているらしいけど、それを体感するためにわざわざ潜る必要はない。そもそも日常生活の段階でとても見えづらいから。
対してEZM3Fは白。完璧な視認性。
そして薄さ。0.6mmか0.7mm程度3Fの方が薄い。数字だけ見ると誤差のようなものだけど、実際に着けてみると全然感触が違う。EZM3が手首に金属の塊を「乗せている」感覚だとすればFはブレスレットから連続する金属の板を「巻いている」感じ。
左がEZM3F、右がEZM3。EZM3の方がラグの先端位置が少し浮いているのが分かる。これは裏蓋の厚みの違い。
これらの違いはいずれもEZM3Fがパイロットウォッチカテゴリーになっているがゆえのものらしい。ただ200m防水はあるので普通のダイバーズと実質変わらない。海どころかプールにすら行くことがない自分にとってはどちらも「ダイバーズデザイン」の時計で、それでいい。
まとめ
色々なブランドの時計を何十本か買ってきた。「これが自分のために作られた時計だ」と思える一本を探していた。
EZM3Fについては、まさしくこれが自分のための時計だった。好きなブランド、欲しい機能、快適な着け心地。全てが備わっている。
最後にもう一つ、センシティブな話しを書いておく。
人は死ぬ。
自分は死ぬ前に持っている時計で値の付くものは全て売却してしまうだろう。妻の老後の資金にしてほしい。だから結局のところリセールの付く時計は最後まで一緒にいられない。たまたま手元に仮寓しているだけ。
よくばりな自分は一緒に死ねる時計が欲しい。棺桶に一緒に入れて欲しい。よってリセールはつかない方がいい。
正直なところSinnもちょっとは付くと思うので悩ましい。たぶん売ったお金でアピシウスのコースを食べられるくらい?(お酒を飲まなければ)。でも、こればっかりは妻に我慢してもらおう。夫婦ともに好きだったサイゼリヤに行ってください。